2016年1月30日土曜日

KL ZOMBIE


KLゾンビ

あらすじ:クアラルンプールの丘の上、NIPIS(男)他、カップル数名が街を見下ろしていると、子犬がやってくる。迂闊に手をだした一人が噛まれる。次の日、男はゾンビ化し、クアラルンプールにゾンビアポカリプスが訪れる。NIPISはこの自体のなか、なんとか生き延びようと頑張るのであった。いろいろな生存者と協力し、ゾンビと戦いつつ愛する恋人(なのか?)を探しだすNIPIS。もうこれではどうしようもないとなった時、なんと、とある化粧品を食わせるとゾンビは人間に戻ることがわかったのであった!ということで、なんとなく平穏になって解決。NIPISも愛しのあの子といちゃいちゃするのであった。



えっと、特にあらすじとかないですし、なんらかのしっかりした部分があるわけでもないどころか、DVDケースとかに出てる写真のシーンもほぼなく、ゾンビもMAX5-6名でのんびりしているっていう、コメディ映画タッチの失敗作です。

でも、のんびり感とか出鱈目な展開とかみてるとホッとするので、進撃の巨人とかのあとにみてください。(なげやり



Ola Bola

Ola Bola (監督:Chiu Keng Guan)

あらすじ:1970年代後半、サッカー・マレーシア代表は、ナショナル・チームとはいえ一般の仕事で働きながら参加している選手ばかりだった。 それはTaukeこと(”ボス”のような意味)キャプテンのChow Kwok Keongでも同じことだった。この英国のフットボールチームから誘いがあったほどの選手であっても。この、中国人・インド人・マレー人というマレーシアらしい多民族編成のチームに、ある日、白人の監督がやってきて、チームを大きく作り直し始め、控えメンバーの抜擢やポジションの変更など様々な改革を行う。当然、キャプテンや既存メンバーは面白くなく、監督の指示を聞かずにちぐはぐなプレーで連敗を重ねる。Taukeはそういった監督と対立し、チームを離れてしまう。だが、キーパーや他のメンバーの問題、家族の思いを知るにつけ、同じ失敗を繰り返さず、チームのためオリンピック出場のために戦い、チームの中の一人のサッカー選手として勝利に貢献するべきであるという考えを強く持つようになる。多民族のチームは一つになり、Tauke復帰後は連戦連勝。ついにこの韓国戦に勝てばオリンピックという前日、マレーシア政府からの通達でモスクワオリピックのボイコットが決まる。チームには知らせずピッチにたつTauke。しかし韓国選手の挑発的な一言で、選手たいは勝ってもオリンピックに出れないことをしってしまう。だが、マレーシア人としての誇り、勝利の意味を自らに問い直し、選手たちはピッチへ戻り勝利するのであった。オリンピックには出れずとも、全力を尽くし勝つということ自体が母国マレーシアへの愛であるからだ。




マレーシアでは有名なヒット作を連発してる監督らしいのですが、知らないでみました。

結論からいうと非常にいい映画で、作品としてはKANOのようなものに近い、実話に基づく多民族のチームを通して、自分たちの国への愛を表現した作品です。

歴史というものが問題となり、娯楽作品が作られる時、多民族国家や政治的・社会的な変動や成長があるアジアの多くの国ではその理由はかなり切実であり、アメリカやヨーロッパのように単純に歴史を切り取り見せるだけでは足りない、というのはあると思います。

この映画も、現在に生きる若い女性が過去の出来事をジャーナリストとして調べていくという形で現在との視点を行ききまします。正直、あまりうまいとは言えない形で、映画としての流れを崩してしまっている・誇張に流れている点は否めませんが、それは減点法での映画の見方であって、あまり気にする部分ではないと思っていい。マレーシア人にはあまり気にならないはずというか、こういう現在を生きるキャラクターがいなければ、物語に入り込みづらいというのがあるのかもしれない。

この映画は単純に役者の顔つきが美しく、また演技も良い。古き良きマレーの風景や人々のあり方がとくに上手く描かれている。

現在のような経済発展で2020年には先進国入りしようかとするマレーシアの現状から見た場合、非常に美しく多民族が一丸となって世界と戦った過去を見た場合、マレーシア人からは大きな郷愁があるのではないだろうか。


マレーシア人の思う、古き良きマレーシアとは、つまるところこの緑豊かな国土をともに分かち合い、ともに生きていく、様々な民族の協調であって、決して一つの民族や宗教、経済や政治に回収されてしまうようなものではないのだ。


マレーシアの今年を代表する国民的映画であることは間違いがない。この映画は劇場で見るべきです。



2016年1月25日月曜日

Jangan Pandang Belakang Congkak

Jangan Pandang Belakang Congkak(監督:Ahmad Idham)

あらすじ:ある田舎の村で老人が死ぬところから話は始まる。クアラルンプールにいる、投資家志望のカー・ジョッキー(*1)のプナイ、ラッパー志望の掃除夫キャット、俳優志望だが冴えないジョハンの元に電報がそれぞれ届く。指示された通りの村に着くと、ムスティカという美女が、実は互いに知らぬ3人とも死んだ老人の孫だと言う。3人が一度も会ったことがない老人の遺言では3日の間、同じ場所(家の中?)で過ごし、また何も触らず(特にCongkak(*2)に触らず)に過ごせば遺産を相続できるということらしい。が、初日にCongkakに触ってしまい、3人はそれぞれゾンビ、オイル男、悪霊といったものに取り憑かれて夜な夜な変化し村を襲うことになってしまう。ゾンビは家畜を襲い、オイル男は女性をレイプし、悪霊は金を盗む。霊能者が呼ばれ、悪魔払いを行うことになるが、黒幕はムスティカで、実は老人が使役していた悪霊を手に入れようと、3人を騙していたのだった。ムスティカのアジトの洞窟で霊能者とムスティカの対決で、ムスティカは実は魔術師の老婆であることがわかる。なんとか勝った霊能者。村人たちに村に帰れ、この洞窟も綺麗にしろという。ところが村人が帰って一人になると、霊能者は笑い出す。ムスティカが勝利し乗り移ったらしいのだ。

(*1)カー・ジョッキーとは、マレーシアにある職業で、駐車場がない時にも車をあずかってくれて、開いたら車を駐車場に移動してくれるような仕事。インドネシアではまた違う意味らしい
(*2)Congkakとはマレーシアの女の子向けのゲームおよびその道具らしい。ルールはよくわからないのでスキップ。




前知識ゼロですが、今日マレー映画見に行こうとしたら「英語字幕はないです」と言われて仕方なくマレー映画のDVD買ったのでみてます。(おそらくシンガポールにいけば英語字幕で見れるのかな・・・?)

カバーからしてこの有様で、これが600円なんだから買わないわけがないんです!





絶対面白いはず。右下の人なんか、フォレスト・ウィテカー感ある顔つきなので名優のはず。左下の人は、二郎インスパイア系に並んでそうな下北住みたいセカオワのファンぽい(偏見)。


でトレイラーはこちら。





なんか呪い師的な人におじいちゃんを助けてもらうところから始まるんですが、

登場シーンからして、煙出すぎという演出。別にこの煙が薄くならず、ぼやっとした感じのまま次の場面に・・・

そして謎の呪術シーン?対決的な?のあと、映画の撮影してるシーン? いまいちわからないまま・・・みていくと、なんか面白3人組がみんな将来の夢はあるけど才能とかないみたいな感じで、都会で生きていて、電報がきたから田舎にとりあえず帰ってきます。



結局さっきの人は魔女ってかんじなのかな?てことで、この3人がいとこだってわかります。で、死んだおじいさんの遺言でこの3人が3日間連続指定された家で過ごして、何にも触らなければ遺産がもらえる的な話に。



とはいえ、面白3人組(そういう展開と期待して勝手に認定)は家の中を探検するわけですが、いきなりグロい人きた!蓮コラですよ!2chでまれによく見た。まぁ、出るだけで特に観客も驚かせず、3人にもあわず消えていく… 友達の紹介で合コン行ったんだけど、性格が合わないでなんとなく気まずくて帰っていく女性陣みたいなものか。



で、特に触るな!ていわれてたCongkakってのを見つけてしまいます。これ、いまいちわからなかったんですが、マレーのゲーム?みたいなことらしい。あとでラボの人に聞かねば。で、いきなり触る。さすが。と思ったら、いきなり事後!?みたいな大展開!?なんでこうなったの!?ということで、各々悪霊になんか取り憑かれたみたいなことなのかな?


で、言い忘れてましたが、このゾンビになった人は役者志望らしいので、下北住みたいセカオワのファンみたいなのはだいたい正解だった。こっちの緑になった人はラッパー志望らしいので、黒人=フォレスト・ウィテカー感あるっていうのも正解といってよかった。

ということで、結局、悪霊に取り憑かれた結果、レイプ&鶏食い&窃盗とそれぞれやったらしいんです。てかレイプかよ!一番ひどいのにさらっと流して同じランクにされている。でも、ご本人たちは記憶がありません。まぁ、実際こういう感じの見た目でした。


「ゾンビは家畜を襲い、オイル男は女性をレイプし、悪霊は金を盗む」って、あらすじでもかきましたが、よくよく考えると悪霊である必要ゼロだな、犯罪の内容的には… これ北の国からだったら、純が冒頭で適当に手紙に書いてもおかしくないレベル。いやおかしいか。



そして謎の音楽シーンが入ったり、自分的には楽しい。勝手な想像ですが、3人で歌っててなんかゲストのラップ入ったりするので、マレーシアのTLC的な立ち位置と勝手に想像している。ふくよかな女性が一人いるのもそれっぽいし。



この展開必要か・・・?とか思いつつも、マレー系女性も綺麗ですねぇとか思ってたら、マツコデラックス的な人がでてくるので、油断できない。(肌は綺麗)





で、オチはスキャナーズと同じかよ!みたいな映画でした。

多分、マレー人で文化的背景がわかっているとすごく笑えるのかなぁと思いつつ、オフビートというほどでもないほどの平坦なテンポはそれはそれでよかった(とはいえ、キャリアのある監督ぽいのに、ホラーコメディでストーリーテリングに起伏がないのはどうかとは思うが…)。

途中、何かに似てるなぁ・・・と思ってたら、ドリフの昔の映画ですね、このテンポ感。ギャグとか展開もそれっぽい。ということで、カトちゃんぽいシーンを最後に。ちょっとだけよぉ♪ってみたいなどうさをやってくれてました。



とりあえず、自分としては音楽がちょっと良い部分があったのと、イスラム教というものが現在のメディアのイメージでは色々とひどい扱いですが、マレー・インドネシアでは土着の文化も非常に受け入れる形で定着しており、懐の深い、ゆるい部分もちゃんとあるのだなぁと実感できる映画でした。




2016年1月24日日曜日

台湾短編映画オムニバス「10+10」(3)

さらに続き。短編集なので、一度に3つ見ていくって感じで…

(7) 海馬洗頭 (監督・陳玉勳)

あらすじ:派手な服を着た中年女性が、寂れた裏道を進む。あたりには「洗髪→」といった看板。団地の中、食卓に一人の男が座っている。食事には手をつけている様子がない。女はいう。「洗髪をお願い」。男は無反応。部屋には水槽がありタツノオトシゴが入っている。女がそれを覗き込むと、水槽の横のドアが当いて老人がでてくる。「劉さん、予約は?」「記憶を洗い流せると聞いたのだけど」「ああ。失った記憶を取り戻すこともできる。どちらも1万台湾元」「難しいの?」「こっちで座って」老人が説明を始める。

「誰かの記憶を頭から消すこともできる?」「もちろん」「悲しい記憶だけなくすことも?」「ええ」女はある男の記憶を消すことを頼む。「消したい記憶を思い出して」老人に言われると、女は男との記憶を思い出す…女は男との口論のあと、殺してしまっていた。

遊ばれた記憶はなくし、いいことを言われたこと記憶だけを残す女。…施術が終わると女は、「今度は記憶を取り戻して欲しいの」「今なくしたばかりなのに!?」老人は驚き呆れた様子。「いいえ、私のじゃないの」女が持ってきたビニール袋を机に置くと、中には先ほど殺した男の首が。女は言う「彼のよ。彼が私との記憶、どんな風に思っていたか知りたいのよ」。水槽の中ではタツノオトシゴが静かに踊るように漂っている。



自分が大好きな映画の一つ「總舖師」の監督です。愛の記憶を消すとなると、ジム・キャリーのEternal Sunshine of the Spotless Mindなどを思い出してしまいますが(これもいい映画なのでみましょう)、陳玉勳だけあって同じギミックつかって、非常にうまくコミカルかつ情感豊かに短編な仕上げています。台湾らしい生活感ある風景をこれだけポップに撮影できる目があり、登場人物は謎めいていてコミカルでありながら、ちょっと胸にじんとこさせる部分もある、さすが總舖師の陳玉勳といった感じの良作でした。

これ、長編や連作にもなりそうなテーマなので、深夜ドラマでワンクール、いろいろ見てみたいなぁと思わされます。

あと、知らないと思われるのもなんなで、海馬=たつのおとしご=脳のパーツといったタイトルってことです。





(8) 諸神的黃昏 (監督・張艾嘉)

あらすじ:ずっと一緒にいるといったのに…囚人らしい男の独白から始まる。20歳の死刑囚と面接しているソーシャル・ワーカーの男。彼に何ができるという自問自答をしている。「なにか何か信じている宗教はあるかい?なんでも?」「家では仏教だった…」ソーシャルワーカーは仏典を共に読んだりして死刑囚の心を安らげる道を探す。なぜこうなったのだろう?誰もが自分では扱いきれないような間違いを犯すことがありえるから?家族や社会が十分暖かくない?いまだ死を恐る死刑囚の若者。「もし死刑になれば、自分のような人間でも魂を取り戻せるの?」 ある日、若者は言う。「昨日、仏様が自分に話しかけてきた。彼女は雲の向こうに自分の場所も用意してくれてる。冬が終われば、彼女はそこで待っていてくれるって」死刑は執行され、彼に殺された被害者の女の子の家族に、彼の描いた絵を届けるソーシャルワーカー。仏画のような女性の絵。ソーシャルワーカーは暖かい春の到来を願う。



張艾嘉は自分はよく知らないのですが、女優兼監督だそうです。なんかよくわからんが内容が浅い短編だったくらいの印象。





(9) 無國籍公民 (監督・朱延平)

あらすじ:みすぼらしい女。違法移民らしい。知恵遅れか。売春で金を稼いでいるらしい。金の支払いを渋る男から金をもぎ取ると、男は物取りにあったと騒ぎ始める。女は逃げていく。屋台で食事をした後、おなじようなホームレスの老人に食事を持っていく。老人は国民党につれられて台湾に来た老兵らしい。そのとき、男に呼ばれたのか警官たちが女を追いかけにきた。逃げ回った結果、女は線路で電車に引かれて死んでしまう。



この人もキャリアが長い人みたいです。大宅們撮った人か(これは、あまりいいところがない映画でした。適当に時間うめるのに四苦八苦してつまらないネットでみんな知ってるようなアメリカン・ジョークとか詰め込んでて、98分だけなのにそんなことしないと時間が持たないとか、最初から脚本練り直せと言いたかった)。

で、大宅們は単なる失敗作のコメディだったわけですが、これは社会的なテーマ扱いたいらしく、知恵遅の売春婦と老兵の関係で、大陸を追われて台湾に来た今の老兵たちと、違法移民を重ねていく、そのうえで「タイやビルマからの違法移民に合法的な滞在の権利が最近の法改正で与えられたが、社会保険などの問題が残っている」的な文言が流れて終わる。

なんか言いたいことはわかるが、違法移民と国民党老兵重ねちゃうのってなんだかわけがわからないというか、別物じゃないだろうか?という違和感が流れる。違法移民の権利などを主張したいならわかるが、国民党老兵って別に違法でもなければ、自分たちの考えで台湾に来たわけでもない。なんだか考えが浅さが透けて見え、単にあんまり考えず気分で作られた映画なんじゃないの?って思わされた。


2016年1月22日金曜日

台湾短編映画オムニバス「10+10」(2)

寝る前にちょっとずつみることにしてるのでつづきを

(4)老人興我(監督:鄭文堂)

あらすじ:ある冷たい朝、老人が見つからないと探しているものたちがいる。当の老人は、まるで老妻との思い出を思い出し、「誰か」に話しかけつつどこかを歩いている。村人たちは総出で老人をさがしているが、夕刻近くなってもみつからない。老人は、村人たちに感謝するように「誰か」に話しかけると、一人でまた歩きつづける。

この人も30〜35年とってるベテランだそうです。

上記のようなあらすじですが、実話に基づくもので、結局認知症の老人が朝方行方不明となり、村人たちの捜索にもかかわらず、村から離れた場所で結局、亡くなった状態でみつかったという事件だったそうです。

わりとその割に爽やかに、安らかに死んでいったみたいな描き方なされてるんですが、実際そんなわけないだろうなぁと思いつつ、そうあって欲しかった程度の映画なのかもしれない。というわけで、まぁ社会的な要素はそんなにない形で実在の事件を扱っています。



(5)到站停車(監督:沈可尚)

あらすじ:バスがとまると、いつものように老婆が乗ってくる。若い女性の運転手は軽く会話を交わすとまたバスを走らせる。妊婦や男、学生が乗っている。雨が降ってくるが、乗客たちは窓をしめる程度で、また手元の本や新聞に目を向け続ける。突然、必死で男がバスの扉をたたき入れてくれるように乞うが、運転手は「バス停ではないため扉を開けることができない」と答えるのみであった。なおも男は必死にたたき続けるが運転手は同じ答えを繰り返す。その時、何かが割れるような音がし、男は倒れるが、しばらくすると起き上がり、突然駈け出す。運転手が呆然としたのち後ろを振り返ると、妊婦の腹に銃で撃たれたらしき傷があり、血が流れている。


この監督はわりと若手なのかな?認知症の家族のドキュメンタリーを撮ったりしたそうです。なんかアメリカの短編映画ぽい感じで、学生がとってそう。最後のシーンが「売り地」の看板がでてるんですが、なんか意味があるのかないのか・・・

台湾の政治のことかんがえると、金のために台湾うったら若い世代を殺すのも同じ、みたいなことなのか、みたいに取れなくもない。




(6)釈放(監督:王小棣)

あらすじ:海と山、農地、台東の典型的な美しい風景。撮影班は、2005年にここにいき、爆竹で鳥を追い払う仕事をしている男にあう。彼は一人の助手の女性に6年も電話し続けている。太った助手の女性らしき人が人が男と話している。場面変わって、女性が家でシャワーを浴びて出てくると若い男が部屋にいる。裸で出てきた女性は驚いてみせるが顔見知りのようだ。男は、なぜ電話に出なかったのか聞く。女性は答える「メッセージは全て聞いてきた」と。男は顔が破れたように急に笑顔で「本当?」と喜ぶ。男は山の動物や竹林の風、彼が世話をしているらしき老婆のモノマネを始めるが女性は多少いぶかしいげにきょとんとしている。
 男は、女性の携帯をチェックして着信拒否されていることを確かめた話をしはじめるが、突然服を脱ぎ始め、女性に近づいていく。女性は手元にあったもので男の頭をはたく。突如、部屋が崩れ始める。男が「こわがらないで!」と女性に後ろから抱きつくシーンで話はおわる。



なんかラストシーンにマジックリアリズム的な部分をかんじなくもないのだが、まぁ文芸路線ぽいがよくわからん。最初の撮影班がどうこうとか海だの山だの無声映画的な演出だの必要?いらないんじゃない?みたいな、滑り感がある。

SENIOR - Runpee: 先輩

あらすじ:カソリックの寄宿舎学校で学ぶタイ人の少女モンは不思議な力を持っていた。幼少時の交通事故で両親が死に自分が生き残ったのち、幽霊の存在がわかるようになったのだ。姿は見えずとも匂いで存在を感じ、話をすることができる。ある日、モンは奇妙な幽霊「先輩」から、30年前の彼の死の真相を探るように頼まれる。「先輩」は生前の記憶がすでに一部ないのだ。最初は断っていたモンだが、結局手伝い探っていくうちに、「先輩」の死の真相だけでなく、とある公妃の死の謎を解き明かしていくことになる。



タイのホラー映画が、アメリカの西部劇やヒーローもの、日本の時代劇と同じように、色々なテーマを包容できるようになっているということはいろいろ聞いていた。(映画館に行く人は予告編をみるだけでも、近年のタイのホラー映画の懐の深さがわかっていたとおもいます。)

で、今日はSENIOR - Runpeeを見たわけですが、多分2回目を見に行くかDVDを買うと思います。

そら、ハリウッドで多人数で色々直してってお金かけてって映画じゃないですから、欠点はありますよ。そういう点で見ていくと60〜70点になっちゃうんですけど、いいところで加点していくと150点はある。(てかmax100点じゃなくなるので、映画好きな人にはとりあえずオススメ程度の意味で)



すこし、複雑ぽいストーリーがある(探偵小説的なね)お話なので、詰め込みすぎに感じるかもしれませんが、その分テンポよくぽんぽん進んでいきます。途中の演出も良いところが多くあり(わるいところもちょっとは)、「あー、ここうまいなぁ」と思わされます。

特に、ホラー映画の体裁はとってあれど、青春映画、(それこそ江戸川乱歩的な)推理映画のような要素がメインであって、先輩が(タイの基準で)イケメンなのにもかかわらず白塗りのスケキヨ要素あるところとか、どんどん気にならなくなってくる。

日本ではタイ映画といえば、トニー・ジャーくらいしか最近はやってませんが、こういうものをしっかりと上映して、アジアの他の国の観客と同じくらいに映画をまともにみれる知能を養ってください。

減点法でブツブツいうような人は、マッドマックスの最新のでも爆音上映でみて楽しんでろ(別に悪い映画とは思いませんでしたがね…)。

この脚本でノイタミナとかで深夜アニメにしてたら今期一番だったことは間違いがないし、おそらくこのレベルの映画がいまゴロゴロとられているであろう、タイ映画のホラーの懐の深さというものを感じられているような気がしなくもないので、タイ映画もDVD100枚くらい買いたいし、代表的なのは全部見たい。

文芸性のあるホラーを取れる国、それがタイだと思って良さそうです。あと女の子が匂い嗅ぐ仕草が可愛い。見れる国にいる人は、やってたら見に行くべき映画です。大林宣彦が脳梅毒で変なこと言いだす前の映画みたいな(いや別に脳梅毒ではないんだけど)、さわやかな、甘酸っぱい気持ちで映画館を出れると思います。ホラーなんだけどね。



2016年1月21日木曜日

台湾短編映画オムニバス「10+10」(1)

(1)謝神 (監督:王童)

あらすじ:宝くじに当たった中年。若い男と二人で、山奥の地元の神様にお礼のお参りに行く(だからタイトルが謝神 )。若い男は大金が手に入ると大喜び。随分大変な道のりだがなんとかつくと、お供えものと一緒に映画を上映する(しかも3Dのアバター)。中年が席を外した時に若い男が宝くじ(神に一旦捧げてある)を盗み見ると、400台湾ドルしか当たっていない。若い男は怒ったり泣き崩れたり…


1942年生まれのベテラン台湾人の監督。

わりとオチが弱いと思うが、ちょっと清々しい感じもある。

なんかの長編の一部という感じ。冒頭の会話でそういったことを匂わせられれば
もっとよかっただろうと思う。

例えば、男たち借金を匂わせたり、なんらかの危機を見せた上で、片方は自殺を
考えて最後のお参りであることを、もう一方には言わないでおいている、ちょっとした馬鹿馬鹿しい騒動のあと、なんだかんだで出直す程度の話には、同じ5分でもできたのではないか。

なんか自分で短編とるとしたら、そういう感じの話でつくるかなぁ…などと考えながら見ていたが、結局、最後に若い方が泣いているので、最後までみればなんとなく彼らにいろいろあったことが仄めかされている。

外省人でわりと重めの内容の映画をとってきたそうなので、こういう軽い、音楽に合わせた雰囲気のものをとりたかったのかもしれない。

近年の台湾娯楽映画のダジャレや軽口の応酬に比べると、ちょっとあっさりしている印象だが、歴史的な商業的成功をおさめたアバターを上映しているが400台湾元(千六百円くらい?)しか当たっていない宝くじという対比をみると、長年台湾映画に関わってきたのに、たいして金持ちでもない自分たちの状況や、それを知ってがっかりしてするかもしれない台湾若者たちを、登場人物に仮託してコミカルに描いたのだろう。

神仏が映画を見ているというあたり、あっさりした表現に映画やこれからそれをとっていく、見ていく若い人たちへの温かい眼差しが感じられなくもない。






(2)有家小店叫永久(監督:呉念真)

あらすじ:小さな商店を営む独居の老婆が病院から帰ってくる。高齢で店も流行らず、近所の人たちは優しいものの、自分の店では買い物はしてくれないどころか、自分でも7-11で買い物をしてしまうほど。近所のおじさん(だと思う)と老婆はそこで賭けをする。3日ののちに買い物をする客たちがちゃんとこないなら、もうこんな商売にならない店は閉めてしまってはどうかと。当然流行らないので勝ち目はないかと思いきや、夜中に戸を叩く音が。冥銭(神仏や故人に燃やして捧げる儀礼用の紙幣)を欲しいと子供が言う。賭けに老婆は勝ちそうだ。店はまだ閉められず、しばらく続けられるのだろう。誰もいないのにゆっくりと店の扉が開くラストシーン。その子供は誰だったのだろう?


63歳くらいのベテラン監督&脚本家だそうです

この映画は、語り口が自然で説明くさい部分がなく、受け身になってぼうっとみていても、なんとなく見ているうちに登場人物たちの状況や関係、そういったものが観客にはいってくる。ある意味、台湾ニューシネマ世代の台湾映画的な多く語らない、しずかな語り口ぽいなぁとおもったら、そのまま台湾ニューシネマ世代のひとだった。

非情城市の脚本を朱天文と担当。本省人。こういった人材が台湾ニューシネマに大きくかかわっていたというのは、なんだか当時の映画が、当時の国民党独裁政権の中では様々な天運が重なって、まるで奇跡のように生まれた一つの時代、現代の若い台湾人のもつ台湾人アイデンティティの一つの始まりではないかと思ってしまう(が、あんまり詳しくない…エドワード・ヤンの代表作などは台湾ヤクザが版権を握ってしまっている結果、DVDなどにならないものがあるそうだ。)

店の名前が永久商店なのがまず良い。

台湾はかなり7-11やファミリーマートが多く、個人商店への圧迫は、かなり日本に似た状況ではあるが、台中服務協定への反対の理由には、中国製品だけでなく労働者など流入によって、例えば屋台文化などが破壊されてしまうのでは?などの懸念も、実はあったわけです。

◯◯年老店などと誇らしげに掲げている地元の店の誇りや、周辺の人々のその店への愛着など、そういったものが台湾社会でこれからどうあるべきかということに対する、ある意味台湾の若い世代に共有されているであろう視線がこの映画には出ていると思う。

それが独居老人などの問題と重ねられている。エンディングは素直にとれば、子供は神仏の類。それがこの店を続けさせるためにやってきたと見えるだろう。うがった見方をすれば、老婆は死んでいて迎えがきたのかもしれない。

いずれにせよ台湾人が自国の社会の変化を、愛情と悲しみをもって眺めていることがわかり、またできれば台湾らしさというものが失われないように願っているということだろう。

「子供が冥銭を老婆の店に買いに来た」というのも、台湾人がいかに若い世代を信頼しているか、彼らに自分たちの気持ちが伝わっていると感じているか、その現状が伝わってくる。ひまわり運動など、国民党独裁政権下で育った世代のこの監督は、胸を熱くしてみていただろう。その気持ちが、店の名前にあらわれている。






(3)登場(監督:魏徳聖)

魏徳聖は現在46歳。海角7号(台湾娯楽映画の歴史の中だけではなく台湾映画史で、大きな転換点になったと言っていいだろう作品)の大ヒットの後、セデック・バレやKANOなど、大きなヒット映画を監督や脚本の立場で作り続けている。

この映画は、彼の映画「セデック・バレ」に出演した原住民の一人(おそらく演劇の経験などなかったのでは?)がベネチア国際映画祭で上映に赴くシーンをラストシーンとして、彼の生活や考えを垣間見るモノローグ的なドキュメンタリー作品と言っていいだろう。

映画自体はベネチアでは評判がよくなかったようだが、当時の新聞記者などの批評を検索してみると、やはりこの映画は、台湾の歴史を台湾人が捉える上で、霧社事件がなんだったのかという一つの現代的な台湾人アイデンティティに関わる問題を扱っていると言えるので、台湾に関心がない批評家には粗が目立ってしまったのではないかとは思う。

が、基本長い映画を若い監督がとるとだいたい評判わるいものでは?みたいな話の気もする。

(とはいえ、自分もこれからセデック・バレのDVD見るところです…)

セデック・バレにはジョン・ウーが99.5点つけてるなど…て記事読んで、へーと思っていたら、「セデック・バレ」のプロデューサーの一人だったので、おい!と思った。

まぁ、ジョン・ウーは金かかけてるのにいきなり変な演出ナチュラルに入れてくる監督なので、ちょっとネジくるってるところあるから、映画評に関してはおすぎよりマシ、くらいに思っておいて、自分でDVD見て判断しましょうって方針で。




2016年1月20日水曜日

Mojin: The Lost Legend

昨日みたやつ。




中国大陸や香港映画産業は定期的にインディー・ジョーンズのバッタもんを
つくるという謎の習性があるんですが、だいたい大味でなんかあやふやに物事が
解決していくパターンがおおい気がします。

これは原作付き映画ということですが、もしかすると武侠小説の人が適当に現代に題材をとるとインディー・ジョーンズになってしまうみたいな結果が、バッタもんが適当に作られ続けている理由なのかもしれない。

どっちもデタラメだからジャンル的にはおなじ。スピルバーグ映画と同じで、なんか映画館では楽しめてDVDも買っちゃうんだけど、ふと我にかえるとこんなDVDはトラックに轢かれて割れてしまえ!ってたまに思うみたいな。激突。

ちなみに香港の方は予算がないので、現代劇の登場人物の空想の中の冒険みたいにしてたりして、「あー、このシーンだけ本当はとりたかったんだけど全部は無理だから、そういう感じで撮ってみました」とかがある。

とはいえ、近年の中国の経済発展に伴って、娯楽映画はお金を10億円単位の予算でガンガンかけるようになってきているので、バッタもんのジョーンズもだんだん面白くなってきています。ジョーンズってなんだ。インディって言おう。

脚本もテンプレなので、別にどうこうってことはないんですが、まぁ、普通にたのしめました!

中国の西村正彦なのか西田敏行なのかわかりませんが、なんかそんな出てくるとコメディぽいけどちょっといい演技で重宝されるみたいな位置付けの、Huang Boさんがでてます。またかよ、的な。この別にいいけど、なんかうんざりし始めてるなってのは、最近日本にいないからわからないですが、少ない知識でなんとなく言うと「また番宣だか映画の宣伝で安田顕でてんのかよ」ていうのに近い(はずだと思って言ったけど、多分外してる)。あ、そう考えると、めんどくさくなさそうな竹中直人みたいな理解でいいのかな?これも違うな。やっぱ西田敏行が近い気がする。そのうちわざとらしくTVの司会とかするんじゃね?的な。裏じゃマネージャーに激怒してるんだろ?みたいな。氷川きよし。

スー・チーさんがでてるのでみましたが、あいかわらずうまくこなしてました。

個人的には、この映画のいいところは「また日本人悪役か!」という中国映画の典型のパターンの応用として「おお!ゾンビ日本兵!」て思わせてくれたところです。

変化球なげれるじゃん!中国!

まぁ役者陣がいいのと、電通がからんでないってことで、日本映画も参考に頑張れよ、程度の気分です。進撃の巨人。


追記:Huang Boさん、古田新太だ!演技全然ちがうけど、うんざり感は似てる。顔も似てる。